「法には曖昧なところが多い」法社会学者から弁護士に、棚瀬孝雄氏ロングインタビュー

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棚瀬孝雄氏は、法社会学者として法を自律的な体系とみなし、法の答えは法の中にあるという見方に懐疑的な姿勢を貫いてきた。離婚事件やインドでの国際法務などの一般事件扱う弁護士になった今も、社会のあり方を調べ尽くしながら主張を展開し、国内外の裁判所で画期的な結論を得ている。専門の1つである弁護士制度の話も交えたロングインタビュー。 棚瀬孝雄氏(棚瀬法律事務所 代表弁護士)インタビュー (弁護士ドットコムタイムズ<旧・月刊弁護士ドットコム>Vol.53<2020年2月発行>より) 取材・文/池田宏之 取材/浅川淑子

京大教授から弁護士に「法には曖昧なところが多い」

「法は社会の中ではじめて、その存在意義が確認されるものであり、社会の中で法が正しいものとして機能するかどうかへの反省は、法の中に当然に組み込まれないといけない。立法者だけでなく、法律家も、個別ケースに法律を適用する中で、自分が適用しようとしている法が社会環境や人間関係の中で、法が正しいのか絶えず自問しないといけないと思います。

法は自己完結的な体系であって、法の中に法の答えがあり、それを訓練を積んだ法律家が取り出すというのが、『法の自律性』という考え方。それはもちろん大切な考え方ですが、実際、法には曖昧なところが多く、いつも今とは違う法のあり方がたくさん隠されています。法は社会に開かれているのです」

法社会学を専門とする京都大学教授を経て、弁護士になった棚瀬孝雄氏の法に対する態度には、法が自律的、自己完結的な体系として、決まった答えがあると見なし、解釈することへの懐疑的な見方が貫かれている。

棚瀬氏は、1960年代半ば日本における法社会学者のパイオニアである故・川島武宜東京大学名誉教授の最後の弟子としてキャリアをスタートさせた。棚瀬氏が出会った時の川島氏は「法は社会を離れて存在しない。法のあり方はすぐれて、社会や歴史に規定されている」という、マルクスやウエーバーに代表される近代社会理論から出発し、個々の社会事象を経験的に分析するアメリカ流の新しい法社会学の影響を受けて、軌道修正をはかりつつあった。

「大学4 年で司法試験に合格した後、『何をやろうか』と悶々と考えながら、川島先生の講義を聞きにいきました。第1講目で『法社会学は新しい学問。現代の社会科学をふまえた新しい法社会学には、君たちの若い力が必要』と力説された。アジられるような気持ちで、研究室にいって『感銘を受けたので、ぜひ勉強したい』と言ったのです」

成績優秀だった棚瀬氏は、そのまま学士助手として採用され、40年近い学者人生のはじまりとなった。棚瀬氏は、最先端の社会学を吸収するために、社会学の大学院に顔を出し、数年後には米・ハーバード大学大学院で、3年間社会学を学び、博士号を取得する。

「依頼者と接触したい」大手顧問でなく個人事務所を設立

棚瀬氏の法社会学での仕事は、大きく2つある。1つは、日本の法文化や法秩序、法制度の分析。

「1970年代から80年代にかけて日本は大きく変容し、国際社会でのプレゼンスも格段に高まりました。「法を使わない」とされる日本社会が、なぜ急速に産業化したのか、隠れた抑圧などの盲点はないのかという問題が国内外から提起されたため、理論的・実証的な分析で問題に取り組んできました」

棚瀬氏は、司法制度や、訴訟手続などで数多くの論文・著作を発表。これらの法制度は、法律で骨格が作られるが、社会科学の視点か見ると、人が関わり、人が動かす制度であることから、利害や欲求、組織ゆえの硬直性など、多様な要因が実際の運用に関わる。社会学的な視点から分析して、制度をよりよくするのが、法社会学者としての棚瀬氏の仕事の1つだった。

もう1つの仕事は、法の解釈についての法社会学的な分析。法がより良い法であるために、社会の中で、本当に正しい法として働いているのかを検証し、それを法の解釈に反映させていく作業が必要となるが、その具体的な方法のあり方を、棚瀬氏は模索し続けてきた。

「第2次世界大戦後、戦前の法律学の反省から、何度も法解釈論争が行われてきましたし、20世紀初頭に勃興した(法が実際に機能する過程を重視する)リアリズム法学も日本に入ってきました。それを踏まえて、法解釈学者に向けて実践的な議論を行ってきました。1980年代に入ると、解釈主義やポストモダンなどの最先端の議論をいち早く積極的に導入し、法理論のパラダイム転換をはかりました」

棚瀬氏は、法社会学の視点を法の解釈に取り込むため、法解釈学者との共同研究や共著をまとめてきた。民事訴訟法の新堂幸司(東大名誉教授)、民法の加藤雅信(名古屋学院大学法学部教授)、山本敬三(京大法学部教授)、英米法の樋口範雄(東大名誉教授)の4氏との研究をはじめとして、学問的にも有意義な交流があり、論文や著書として公表してきた。

「法解釈学にも関わってきたので、弁護士になっても違和感なく実務に携われました。法社会学者として、法を批判的に捉えてきたことが、依頼者のために、より良い法の解釈を主張し、裁判所を説得する上で役立っています」

棚瀬氏は、自分の事件を持って、依頼者と接触したいという希望から、大手事務所の顧問にならず、一般民事事件や国際法務を手がける個人事務所を設立した。

共同監護にコミットした高裁決定「家庭が壊れた子供はもろい」

棚瀬氏の実務の中で、ユニークなものとして、離婚・別居により子供が片親と会えなくなる事件の弁護がある。「きっかけは、ハーバードのロースクールで教えた際の経験。同じ法が日米でどう違うか、日本的契約慣行、政治の渦中に置かれた憲法9条などを学生に文献を読ませて議論しました。その中で家族法の問題も取り上げようと、監護紛争を調べて驚きました」

当時の唯一の最高裁判例は、年2回、娘に会わせてほしいというささやかな願いを拒否された父親が、憲法13条の幸福追求権の侵害を理由に上告したのに対し、「原審が何が子の福祉を考えて判断したもので、憲法の違反を言う余地はない」としたものだった。

「大きな衝撃を受けました。アメリカでは決まって、『相当の面会を認める』と、隔週2泊3日で、別居親の家に泊まりに行っており、この差がどうして生まれたのか、家庭という枠を超えて、子供が、別居親とも親子のかかわりを持っていく社会を深く考えさせられました」

帰国後、日米の比較考察を行った論文を執筆。子供に会えずに苦しんでいる人たちの目に留まり、弁護士になってから、依頼者が集まるようになった。また、妻一代氏(故人・神戸親和女子大学教授)も、心理学者としてカウンセリングをする中で、離婚で子供が受ける心の傷を問題視していた。夫婦で、離婚・別居で親子が切り離されることに心を痛め、親権の問題に関わることになった。

現在、棚瀬氏は、共同親権の導入(離婚後の共同監護の実現)に力を入れる。国会議員が参加する院内集会などに積極的に出席し、外国の法制に詳しい専門家、また、数多くの事件を手掛けてきた実務家として、導入に向けた運動の理論的支柱になっている。

「家庭が壊れた経験を持つ子供たちはもろいという意味で、離婚という体験は子供に傷を残す。アメリカの心理学研究をみると精神疾患になったり、ひきこもったり、暴力したり、薬物などの犯罪に走る確率が、離婚を体験していない子供と比べて何倍もある。だから、離婚の問題は、子供の将来のために考えてあげないといけない。

共同親権が実現して、子供が自分には父も母もいるという安心感を持ち、両方との結び付きが維持できれば、離婚の痛手を最小にできる。そういう社会を作りたいというのが、私の共同監護の理念です」

2019年10月に、東京高裁のある決定があった。月1回7時間の面会交流が命じられたのに、一切実施されないことに対して、同居親の母への間接強制を認めた家裁支部の決定に対する執行抗告で、母は「子供が会いたくないと言っている」と主張。棚瀬氏は、同居中の父親との仲の良さを立証し、父子が母抜きで会った際に、口を聞かない理由について、子供が「パパに味方したらママがカンカンに怒るでしょう」と発言した録音などを証拠として提出した。

「母が、同居する子供に『父か母か』の二者択一を迫るから、子供は『お父さんに会いたい』と言えない。つまり、面会交流が実現しないのは、子供の意思ではなく、母こそが会えなくしている。間接強制は、この母に『会えなくすることはやめなさい』と迫るものであると主張しました」

東京高裁の深見敏正裁判官は、棚瀬氏の主張を認め、「面会交流は、抗告人が自分の側に付くのか、相手方の味方をするのか、という態度を直接的にも間接的にも示さず、未成年者らを抗告人と相手方との紛争に巻き込まないようにすることで実現できる以上、間接強制は抗告人に不可能を強いるものでない」と判示した。

棚瀬氏は決定の意義について振り返る。

「まず、面会交流が実現しない原因を母親と認めた点で画期的だった。さらに、母親が暗黙のうちに二者択一を迫ったこと自体を問題と主張し、東京高裁が受け入れたということは、子供にとって、父母両方に愛着があって、両方いるのが幸せなんだというという前提があったと言える。今回の決定は、共同監護にコミットし、認めた画期的なものと考えています」

インド裁判所に認めさせた東証一部企業のビジネスモデル


国際法務分野で、棚瀬氏がいま5年以上にわたり取り組んでいるのはインドにおける租税訴訟だ。東証一部上場企業であるA社は、20年ほど前から、インドに100%出資の子会社を作り、現地生産の製品を買い取った上で、世界に販売し、世界有数のシェアを誇っていた。そのなかで、インドの子会社が直接インド市場で販売する価格と、日本の親会社への販売価格の利益率に差があり、移転価格が問題となった。インド内の取引については利益率が40%と高く、それを市場における「独立当事者間の取引」と捉えたインド租税当局は、10%未満の利益率しか残らない日本の本社への販売価格を、利益を本社に移す「移転価格」と判断し、追徴課税を行った。

当初、大手会計事務所の現地法人の法務部が扱っていたが、インド租税当局を論破できないまま、A社は棚瀬氏に相談を持ちかける。棚瀬氏が最初に着手したのは、本社主導にすることだった。

「課税されているのはインドの子会社だが、問題になっているのは、親会社のビジネスモデルである以上、『本社マター』だと主張しました」

A社は棚瀬氏の主張を受け入れ、棚瀬氏がA社の代理人となり、戦いをはじめる。

「主な論点は2つあった。1つ目は、本社との取引が、『委託製造』であることを主張した。OECD(経済協力開発機構)のガイドラインによると、委託製造のメルクマールは、委託先が仕様も含めて指示通りの物を作り、製造された全量を委託元が買い取ること。インドの子会社は、在庫や売れ行きのリスクをとった上で、自分の判断で市場向けに物を製造・販売する会社でなく、あくまでも『製造というサービスを提供する会社にすぎない』『リスクを免れている以上、市場相手に独立して生産するような会社とは違う』と主張した。委託製造はローリスクであり、得られる利益も低いはずだということです」

2つ目は、子会社がインド向けに販売する場合、日本の親会社に販売する価格より高く、大きな利益が得られる点について、利益をロイヤリティなどの形で親会社に還元しなければならないと主張した点だ。

「インドの子会社は、製品が市場で評価されることを知った上で、技術開発なしで、製品が販売できている。インドでの売れ行きの良さの背後に、本社の技術開発の貢献がある以上、その利益は本来本社に帰属するという主張です。

子会社の利益還元は、ロイヤリティという形で支払われます。親子会社の場合、親会社が開発した特定の技術を使うというより、製造から市場販売まで子会社のすべての業務に、様々な親会社の関与があります。そのため、子会社は自らリスクをとることなく、高度な技術、効率的な生産、販売が可能になるわけです。子会社の利益に対する親会社の貢献を、外部の独立当事者間取引の指標で測定しようとしても、比較になる指標は得られないと、強く主張しました」

この主張の背後にはA社のビジネスモデルがある。棚瀬氏はこう解説する。

「委託製造であれば、子会社が製造したものを、親会社が安い価格で全量買い取り、高く市場価格で売ることできます。その利益を、親会社がリスクを取りながら、技術開発やグローバルな市場戦略に再投資してはじめて、A社がグループ全体として発展していきます。ですから、ビジネスモデルが成り立つためには、インドの子会社が、ローリスクゆえの低い利益率で、親会社に販売する必要があります。
また、このビジネスモデルを前提とすると、子会社が、独自販売する場合、子会社に利益として残ったものを、ロイヤリティとして再投資をする親会社に引き渡す必要があるわけです」

このA社をはじめとしてグローバル展開する企業がとるビジネスモデルを、移転価格に目を光らせるインドの租税当局に納得させ、親会社に必要な利益を集約することが、最近5年間の棚瀬氏のA社の代理人としての戦いとなっている。

棚瀬氏が、インドの租税当局や裁判所の説得において、根拠としているのは、OECDの無形資産の議論だ。権利を低課税国に移すことで租税回避を行った多国籍企業に対し、OECDは法的な権利よりも、どこで実際の「価値創造」が行われたかを重視する指針を定めた。
「インドの子会社が、親会社の価値創造によって恩恵を受けていることが分かれば、A社本社での価値創造を無形資産として、子会社の利益になっている限度で、ロイヤリティを算定できるのではないかと考えて、理論を整理しました」

A社は委託製造について、争い始めた1、2年目は敗訴していたが、棚瀬氏が入ったことで、A社の主張がインドの裁判所に主張が認められ、その後も勝ち続けている。ロイヤリティの問題に関しては、現在インドの租税裁判所で争いが続いていて、口頭主義で心証が開示される中で、勝つ可能性が高まりつつあるという。

「判例がなく、説得に苦労してはいます。ただ、ロイヤリティでいえば、OECD非加盟のインドでも、所得税法改正で、OECD指針の影響でできたとみられる規定があり、それを前面に出して戦っています。取引の実態をよく見て、そこから理論を考え、既成の法の解釈を組み替えていくという点に学者時代の気質が生きています」

「人権の擁護と社会正義の実現」への疑問 賛否両論起こった弁護士制度論文

棚瀬氏は、1970年代から弁護士制度についての研究も続けてきた。最初は、弁護士会が「人権の擁護と社会正義の実現」を掲げる中で、日々の実務が社会的に理解されず、評価されにくくなっている点を問題視した。背景には日本の近代化がある。

「明治以降、急速な近代化のために政官財が三位一体となり、そこに強力な権力中枢があった。その中では、交渉と権謀術数だけがあれば良く、法は必要なかった。政官財により国を挙げて政策を進める中で、弁護士は国家権力の中に入らなかったし、入れなかったのです。そこから、権力の外、”在野”の事件を扱い、抑圧された農民や労働者などと共に闘う在野法曹が理念化されていきます。戦後も、三位一体の権力中枢が残ることで、在野法曹が弁護士の出発点となりました」

日本の弁護士が「人権の擁護と社会正義の実現」をかかげるなか、棚瀬氏は「依頼者のため」を前面に掲げるアメリカの弁護士のあり方との違いに疑問を感じた。

「1970年代ごろ、在野法曹は、金儲けする弁護士は卑しいと批判していたのですが、実際の弁護士の活動は、ほとんどが依頼者のための弁護である以上、そこに積極的な意義を見出すべきだと考えました。弁護士は社会的弱者のためにというが、それも、ある程度報酬を得ているからできるのであって、儲けを隠して『社会正義実現のため』とだけ宣伝するのは事実でない以上に、弁護士の本来の社会的意義を見失っていると思ったのです」

1977年に判例タイムズに掲載された「弁護士の大都市集中とその機能的意義」では、「個人が自由であるために権利が必要であり、その権利実現の道具として依頼者は弁護士を使うべき」という、依頼者を前面に押し出した弁護士モデルが誕生しつつあることを説いた。論文は、弁護士から最高裁判事になった故・大野正男氏らに評価され、ある刑事弁護に尽力する人権派弁護士も「弁護士会は建前を言っているだけで、先生がはじめて弁護士の分析に学問を持ちこんだ」ともらした。一方、棚瀬氏の理論は「ビジネスモデルだ」との批判も浴びた。

その後、司法制度改革を経て弁護士数が大幅に増える中で、ビジネスモデル的な弁護士像も受け入れられるようになった。一方で、別の問題も現れる。

「司法制度改革後、欲望むき出しのビジネスモデルが問題になりましたが、弁護士市場も1つの市場として考えると、市場は略奪の場所ではありません。ルールがあり依頼者が自己決定でサービスを購入して、対価のやりとりがある場所です」

弁護士倫理や「市場の失敗」を重視 「弁護士は法の創造にかなり役に立っている」


「社会正義」を前面に掲げた弁護士会の方針が変わらないまま、弁護士サービス市場の問題も発生している中で、弁護士はどう考えて対応していけば良いのか。棚瀬氏は三つのポイントを説く。

「1つは、弁護士と依頼者を対等化し、自由な取引当事者にすることです。70、80年代から比べればずっと良くなったが、弁護士はまだ権威を持っていて、依頼者が十分にその意思を伝えられず、きちんとやってくれているかどうか、不安に感じることがあると思います」
2つ目は、経済学でいう、「市場の失敗」。

「取引には、公害のような外部不経済、つまり取引に関わらない人への影響がでる場合がある。弁護士の場合も、依頼者にとって満足な結果が出て、弁護士も報酬をもらって満足だとしても、違法な行為が行われ、相手方を含めた第三者に損害が生じるような場合は、典型的な外部不経済であり、規制が必要になります」

3つ目の問題は、弁護士倫理の問題だ。ここには棚瀬氏自身にも理論の変遷がある。

「法の自律性に対応するのが、弁護士倫理です。弁護士は、依頼者の権利実現の忠実な道具となればよく、それ以上に、依頼者の内面や動機に立ち入って、権利実現の目的や結果に干渉しないだけでなく、関心を持ってもいけないという抑制が働くというのが、自由主義的な弁護士モデルです」

1970年代ごろの日本における弁護士と依頼者の関係には、専門家と素人の権威格差や「社会正義の実現」意識に端を発する弱い・庇護すべき存在としての依頼者観が残っていた。当初、隅々まで弁護士が使われる社会を展望して、自由主義的な弁護士モデルを主張してきた棚瀬氏だが、1980年代から90年代にかけて、共同体論に至る社会哲学の影響を受け、少し軌道修正をはかった。

「自由で自立した個人が、普遍的な法の下で、他者の支配を受けず、その生を自ら選び取るという、個人主義的な自由主義には強く共感しますが、同時に、人は孤立した人間としては生きられず、他者とかかわらないといけないというのが共同体論です。

法ではうまくくみ取れないところから他者との関わりの問題が出てくるわけですが、弁護士の仕事は、やはり、依頼者の話を聞いて共感し、その抱えている問題を自分の事のように怒り、何とか力になりたいと思う気持ちが、時間をかけて取り組む最善の弁護を生む以上、共同体の視線が必要だと気付きました。依頼者の自律性の尊重は強く意識しますが、同時に依頼者と一緒に、怒り、悲しみ、そして、勝ったときは一緒に喜ぶことが重要だと思います」

棚瀬氏は、日々の実務に取り組む弁護士の法創造に果たす役割も高く評価している。

「弁護士は作られた法を出発点としているようだが、判例は学者が作ったものではなく、個々のケースで弁護士が議論して、裁判官が出しているわけです。その意味で、弁護士は法の創造にかなり役に立っていて、弁護士が努力して法を作っている感覚があります」
日々の実務に向き合う個々の弁護士は法にどう向き合うべきか。棚瀬氏には思いがある。

「依頼者の事件を扱う以上、それまでの法の規定や考え方を適用してもうまくいかないケースに直面することは、弁護士なら誰でもあると思います。道徳的直感から正しいと考えるのであれば、依頼者の主張が間違っていると決める前に法を疑う、つまり法が社会の中で適切に機能していないと考えることもできます。

裁判の中で学術論争するわけにはいきませんが、通例に従って、暗黙のうちにやっているところや、同じルールでも別の解釈ができる部分が出てくる。その部分を考え抜くことで、法解釈の幅が広がります。必ずしも法が出発点であるわけではなく、法には発見されて後から理屈をつけて説明できる部分があると思っています」

法律が社会に規定されていると考え、法解釈に影響を与える別の視点や社会的事実を絶えず探しながら、法の創造に取り組む棚瀬氏は、今日も実務家として日々の実践を積み上げながら、法創造に突き進んでいる。

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