子どもに会うための共同親権制度では本末転倒

Share THIS:

Facebook
Twitter
LinkedIn
Reddit
WhatsApp
Email
Print

Information:

離婚後の親権を共同親権にする制度の検討が進行しているといいます。欧米などでは、共同親権が主流になりつつありますが、日本が共同親権を目指す考え方と、欧米の考え方では異なっているという指摘があります。そのため、日本は、制度をつくる前にもっとやるべきことがあるというのです。

親権とは、親が子どもに対して責任を果たすこと

 日本では、夫婦が結婚している間は、父母の共同親権制度となっているのですが、夫婦が離婚すると、どちらか一方の親が子どもの親権をもつ単独親権制度になっています。その趣旨は、子どもの養育に関して、子どもと一緒に暮らして監護している方の親を親権者に指定して、その判断に委ねるということです。

 子どもにとっては、一緒に暮らしている親も、離れている親も同じ親なので、その2人が自分のことで対立し続けることは非常にストレスになります。それは、子どもの成長にとって良いことではないからです。

 つまり、親権とは、子どもの養育に関してきちんと責任をもつことであり、子どもを不安にさせたり、混乱させたりすることがないように、一緒に暮らす親にその責任を委ねるというのが、単独親権制度なのです。

 もともと、そのような親権制度は、フランス民法から取れ入れた制度です。ところが近年では、そのフランスをはじめ、欧米諸国では、離婚後も共同親権制度を取り入れたり、取り入れる議論を行ったりしています。

 それは、子どもは親の付属物ではなく、独立した人格であるのだから、それを監護する内容については、両親が離婚したからといって、どちらかの親が恣意的に決めるのではなく、離婚後もふたりが共同責任をとっていくものだ、という考え方が高まっていったからです。

 実は、日本でも、離婚する夫婦が子どもに対する責任を感じ、制度上、単独親権にはなるものの、子どもの養育について事前にしっかり話し合い、共同で責任をとっていこうというケースは多くあります。そのような形で離婚する夫婦にとっては、親権制度は、ある意味、関係ないのです。

高葛藤夫婦の問題は共同親権では解決しない

 欧米の動きに続いて、日本でも、超党派の議員たちにより、共同親権制度の導入を働きかける動きが出ています。しかし、その理由は、欧米諸国のように、親権を親の責任と考えるからではなく、離婚によって母親の単独親権になり、子どもに会えなくなった父親たちの不満の声を受けてのことのようです。

 私は家庭裁判所の調停委員を長くやっていました。そこで目にしたのは、離婚協議がまとまらず家庭裁判所に持ち込まれるようなケースでは、二人の対立は激しく、高葛藤であることが多いということです。とても冷静に話し合える状態ではありません。

 そこで、裁判所は、子どものより良い生活を考えて親権者を決定します。父親の場合はフルタイムで働いていることが多いので経済力はあるものの、なんらかのサポートがなければ、子どもにとって良い生活環境は得られないと考えがちです。残業で帰りが遅い父親を待っている間、子どもはひとりぼっちで、食事もできないということにもなりかねないからです。

 それに比べ、専業主婦であった母親は実家のサポートを受けられるケースも多く、あくまでも実家のサポートを前提とする限りでは、子どもの生活に合わせてパートタイムで働くこともできることが多いため、母親を親権者にすることが多くなってしまいます。そのため、親権者のおよそ7割が母親になっています。

 親権がなくなった父親は、それでも養育費を払うことになります。子どもには、扶養請求権という形で、親権のない父親からも養育費を請求することができるのです。

 すると、高葛藤状態であった母親は、父親に対して、養育費は出させても、子どもに会わせないようにしたりすることも生じてきます。

 例えば、裁判所が、養育費は月6万円という決定を出したにも関わらず、8万円出さなければ子どもには会わせない、と言ったりします。子どもを、養育費をつり上げる道具にしてしまうのです。

 また、子どもに、父親に会いたくないと言え、と言う母親もいます。本当は父親に会いたい、という子どもの気持ちを考えてあげていないのです。

 一方、男性は、子どもと接し、成長を見ることで、初めて父親の自覚が生まれるものだと思います。しかし、お金を払っているのだから会わせろ、という言い方はいかがなものでしょうか。子どもはモノではありません。親の付属物でもないのです。

 日本人は、子どもを親の付属物のように考える感覚が非常に強いといわれます。だから、母親は、子どもを父親との駆け引きの道具のようにしたり、父親は父親で、母親への嫌がらせから、面会交流後に我が子を殺すという事件を起こしたりもしてしまうのです。

 こうしたことは、共同親権という制度を導入しただけで解決するものでは決してありません。離婚後の共同親権の議論をする前に、他にやるべきことがたくさんあるのではないかと思います。

共同親権制度の前に、子どもに対する責任を尽くす仕組みが必要

 実は、欧米の共同親権制度も、様々な仕組みの下で成り立っています。そもそも、社会基盤にキリスト教のカソリックがあるフランスなどでは、神に誓った婚姻関係を解消することはできないという概念があります。

 そこで、教会や市役所などの第三者が介入し、子どもに対する責任を共同で尽くしていくことを話し合い、それを神やコミューンに誓約することで、初めて離婚が成立します。

 この話し合いができないような高葛藤の場合は、問題のある親の親権を剥奪することもあります。例えば、DVや虐待、また、親権の濫用などがあれば、すぐに親権を剥奪する制度があり、そのうえで共同親権があるのです。

 先に、日本でも、離婚の際に話し合い、子どもの養育について共同で責任をとっていく夫婦も多いと述べました。そういう両親にとっては制度がどうであれ、実質的には共同親権なのです。

 逆に、裁判所に持ち込まれるような高葛藤の離婚の場合は、共同親権制度の欧米でも、例外的に一方の親権が剥奪され、実質的に単独親権になることもあり得るのです。

 つまり、いま、日本で起きている議論は、単独親権制度によって親権を失った一方の親が、子どもに会う権利を得るために共同親権にしろといっていることが多いのですが、それは本末転倒なのです。なぜ会えなくなったのか、なぜ会わそうとしないのか。まず、それを冷静に話し合うことが最も必要なのです。

 日本では、話し合いがつかず、高葛藤になってから家庭裁判所などの第三者が介入することになりますが、欧米のように、話し合いの段階から父母をサポートする仕組みが必要だと思います。

 実は、すでにFPIC(公益社団法人 家庭問題情報センター)という機関があり、そこには、高葛藤の夫婦の調停を行ってきた家庭裁判所の書記官や調査官出身の職員が就いていて、離婚に関わるサポートを行っています。

 しかし、日本ではそうした機関に頼らなくても、離婚届を役所に提出するだけで離婚が成立してしまうのですから、自治体レベルで、離婚に関するアドバイスやガイダンスを行う仕組みをつくるべきでしょう。

 実は、厚労省でも、そうした仕組みの研究を行っていますが、共同親権制度の導入より、離婚に関するガイダンスの仕組みをつくることが先決だと思います。

 また、結婚と離婚に関する法教育を充実させていくことも必要です。2022年4月1日から18歳を成人年齢とする制度も始まります。彼らをただ大人扱いするのではなく、きちんとした法教育を高校生までに行うことが重要です。

 私は、本学で「家族と人権」という講義を行っています。毎年、多くの学生が集まりますが、その中に数名は、実際に自分の両親が離婚し、子どものころから精神的なストレスを負ってきたという学生がいます。だから、親はどうあるべきなのかを学びたいというのです。

 正直、私はショックでした。子どもを置き去りにした離婚がどれほど多く、その結果、子どもは大学生になるほどに成長しても、その傷を負ったままなのです。

 彼らが同じ過ちを繰り返さないためだけでなく、彼らを精神的にサポートするためにも、教育が果たすべき役割は大きいと思います。

 日本は離婚率の低い国だといわれてきました。しかし、それは、高度経済成長期に、それこそ24時間働く企業戦士になった男性に対し、女性は家庭に入って支えたために、経済的な自立が難しかったからです。

 逆に、江戸時代の町人の女性は、自分から三行半を突きつけることも多かったのです。離婚が少ないのは、決して日本の古来からの文化ではありません。

 女性の社会進出が進み、経済的な自立がしやすくなっている現代では、離婚は増えていくかもしれません。それだけに、子どもに対する責任を尽くす仕組みとそれをサポートする仕組み、また、それらに関する法教育は絶対に必要です。離婚後の共同親権を議論するのは、それからでも良いのではないかと思います。