児童虐待~連鎖の軛 第4部(1)目黒5歳児死亡 見逃された母のDV被害

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《刑務所での生活は今は少し辛(つら)いですが、ゆっくり時間をかけて慣らしていこうと思っています》

昨年11月4日、栃木県内の女子刑務所から手紙が弁護士宛てに届いた。丸みのある文字で丁寧に書かれた文面に、10月下旬に東京拘置所から栃木刑務所に移った報告や《社会で生きていける精神力と体力を回復させていきたい》と出所後の決意がつづられていた。

差出人はかつて、世間から「鬼母」と罵(ののし)られ、猛烈な批判の渦中にいた。平成30年、東京都目黒区で長女の船戸結愛(ゆあ)ちゃん=当時(5)=を死なせたとして保護責任者遺棄致死罪に問われた優里(ゆり)受刑者(28)だ。事件では「おねがい ゆるして」と記された結愛ちゃんのノートが見つかり、「母親なのに子供を守らなかった」といった糾弾する声が相次いだ。

裁判では、懲役8年の判決が下された。ただ、夫だった船戸雄大受刑者(35)=懲役13年が確定=から、看過できない心理的なDV(配偶者間暴力)を受け、逆らいにくい従属的な立場にあったとされた。裁判長は「結愛ちゃんは戻ってこないが、あなたの人生は続く。裁判が終わってもしっかりと考え、人生をやり直してください」と説諭。DVの影響が量刑上でも考慮された形となった。

その判決から1年余り。優里受刑者から手紙を受け取った代理人の大谷恭子弁護士(70)は優里受刑者が、過去と向き合えるようになった心の変化を感じた。その一方で、事件を食い止められなかった社会へのわだかまりは拭い去れない。「誰かが手を差し伸べられなかったのか。結愛ちゃんは死なずに済んだはずだ」

夫の支配下に

優里受刑者は24年に結愛ちゃんを出産。元夫と離婚した後、香川県内で同居を始めていた雄大受刑者と28年に再婚した。結愛ちゃんの誕生日には、家族でケーキを作ってお祝いした。どこにでもある普通の家庭。思い描いた理想の家族になれるはずだった。

しかし、綻(ほころ)びは生じていた。長男が生まれ、優里受刑者が育児にかかりきりになり、雄大受刑者が結愛ちゃんの面倒を見る機会が増えた。その頃から、長時間の説教や優里受刑者へのDVが始まった。「モデル体形にする」と厳しい食事制限が課され、結愛ちゃんには「しつけ」と称した暴行が繰り返された。当初は暴力をやめるよう懇願した優里受刑者だったが、じわじわと「雄大が作った価値観」(大谷弁護士)に支配されていく。

優里受刑者が結愛ちゃんを抱っこするだけで、雄大受刑者からとがめられ、恐怖で抱きしめられなくなった。優里受刑者は「(雄大受刑者が)ご機嫌でいれば結愛は安全」と考えるようになった。相手の顔色を常にうかがい、自ら結愛ちゃんの説教に加わることも。その後も虐待は続き、結愛ちゃんは亡くなった。全身170カ所に傷があり、体重はわずか12・2キロだった。

「自分が悪い」

なぜ、防げなかったのか。DVと虐待が絡み合った環境に、第三者が介入する機会は何度もあった。

香川県の児童相談所(児相)は28年12月と翌年3月に、結愛ちゃんの傷やあざを見つけ一時保護した。最初の一時保護の際、結愛ちゃんは「ママもたたかれている」と伝え、優里受刑者も「一緒に行きたい」と申し出たが、警察や児相は「あざや傷がなければDVでない」と説明した。

東京拘置所で優里受刑者に面会を重ねてきたNPO法人「女性ネットSaya-Saya」の松本和子代表理事(72)は「何を聞いても『自分が全て悪い』という自責感情に覆われ、典型的な洗脳状態だった」と振り返る。優里受刑者は当初、DVを受けていた自覚すらなかったという。

その後も介入の機会は逃された。香川県から東京都に転居した後の30年2月、品川児相が家庭訪問したが、優里受刑者は結愛ちゃんに会わせずに担当者を追い返した。雄大受刑者が逮捕されて恨まれるのが怖かったためだ。東京で頼れる大人は雄大受刑者以外いなかった優里受刑者。松本氏は「心理的DVは第三者から発見されにくいとはいえ、結果的に誰も彼女に寄り添えず、児相や警察、医療機関による二次加害が起きてしまった」と指摘する。

理想の母親像に縛られ

孤立したのはDVだけが要因ではなかった。

結愛ちゃんの一時保護が解除された29年、優里受刑者は香川県内の医療機関を受診し、結愛ちゃんを抱っこできなくなったことなど育児不安を伝えていた。抱っこすると雄大受刑者の機嫌が悪くなることを恐れての無意識での行動だった。大谷弁護士らによると、優里受刑者に対し、医師は「ハグできない冷たい母親」と捉え、児童相談所も面会で「子供を暴力から守れるのはお母さんだけ」と、一方的ともいえる指導で終わった。

幾度となく突き付けられた理想の母親像。さらに雄大受刑者からのDVが追い打ちをかけ、自己肯定感を失っていた。「努力が足りてない」。自然に自分自身を責めるようになっていった。

「『良い母親でありたい』という思いから、子育てがつらいと声を上げられない母親は多くいる」。こう話すのは、武蔵野大の中板育美教授(公衆衛生看護学)。日本社会には「育児は楽しく、母親は本能で子供を愛せる」といった母性神話が流れているという。そんな無意識の固定観念が母親を追い込み、虐待を個人の問題に矮小(わいしょう)化する要因となっている。

「完璧じゃなくても」

厚生労働省によると、心中以外の虐待死における身体的虐待やネグレクト(育児放棄)では例年、主たる加害者は実母が半数近くを占めている。死亡した子供は3歳未満が6割ほどで母親は育児が大変な時期の子供と接する時間が多く、負担が集中しているとみられる。また、19~30年に虐待死した子供568人のうち少なくとも約10%にあたる51人は、実母がDVを受けていた。

母親が虐待をしてしまうのは、養育能力の欠如や育児不安、DV、望まない妊娠など多様な背景が潜んでいる。中板氏は「親はそもそも不完全で完璧にはなれない。『正しい育児』を振りかざす支援だけでは親を責め、より孤立させてしまう。社会全体で育児を担う意識が必要だ」と話す。

優里受刑者は現在、刑務所で平穏な日々を過ごし、刑務作業にあたっている。最近では運動場に出て、体を動かす意欲も湧いてきた。昨年2月には、事件に至るまでの経緯などをつづった手記も出版。差し入れの教科書を読み、勉強も始めている。

結愛ちゃんへの罪悪感が消え去ることはない。ただ、大谷弁護士によると、DVによる心理的な支配や、母親としての理想像の呪縛から解かれつつあるという。

昨秋、拘置所で大谷氏に面会した優里受刑者は落ち着いた表情で、出所への意欲を伝え、保護されている長男に誓うように語った。「息子と一緒に暮らし、完璧じゃなくても、強い母になりたい」